家族葬ホールいこい

臨済宗の開祖「栄西」 松原市地域密着の葬儀場 家族葬ホールいこい

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2022/11/19

臨済宗の開祖「栄西」ってどんな人?

栄西は、平安時代の後半の1141年に今の岡山県に生まれました。父親は神社の職員だったそうで、その関係から仏教に興味があったのかもしれません。1154年の13歳の頃、天台宗のお寺で仏教を学び始めました。

天台宗を学んでいるうちに貴族や身分の高いものが仏教を利用して金儲けしたり、私物化していることに栄西は嫌気がさします。

そして、今の日本の仏教を見限った栄西は中国(当時は宋)に向かい勉強を始めます。

30歳になる前くらいの歳でした。

約半年くらい留学していたところ、当時の宋では「禅宗」が流行っていたことがわかり、この「禅宗」に天台宗を立て直すヒントがあるだろうと考えていたのです。

人間はいつでも新しいものを拒絶して否定する生き物なのでしょうか。

栄西が中国から持ち帰った臨済宗も既成の宗派の人々から弾圧されてしまいます。

しかし、1198年に『興禅護国論』という本を記し、「禅は今までの既存の宗派のやり方を否定するものではなく、仏教をまた立て直すのに必要なんだ!」と説きました。

ただ、本を通しての弁明もむなしく、それでも京都にはいづらくなったため、幕府から庇護を受けるために鎌倉に向います。

時の権力者である北条政子や源頼家が、臨済宗を支持してくれました。

そして鎌倉の武士たちの間に広まっていったのです。

 

京都の貴族がダメなら鎌倉の武士たちに。

この方針転換は成功し、臨済宗は一気に広まりました。

広まった理由は法然の浄土宗と同じで、山や寺に修行に行かずにできる「簡単さ」からだと言われています。

ただ、浄土宗と大きな違いは、『自力』なところ。

「念仏を唱えれば極楽浄土にいける」という『他力本願』な浄土宗に比べ、臨済宗は自分で坐禅をして仏の境地に達することを目指す『自力』となります。

このように、臨済宗は鎌倉幕府の偉い人や武士たちを中心に広まっていきました。

そんななか、1215年には75歳で栄西は亡くなりました。

 

 

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