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真言宗の開祖「空海」 松原市地域密着の葬儀場 家族葬ホールいこい

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2022/11/05

真言宗の開祖「空海」ってどんな人?

空海は、平安時代初期に実在したお坊さんです。遣唐使の留学僧として唐(中国)を訪れて密教を学び、帰国後に真言宗という宗派を開きました。日本国内での仏教の布教活動に力を注ぎ、残した功績は数知れず。高野山に金剛峯寺を創建したことでも有名です。

空海が生まれたのは奈良時代末の宝亀5年(774年)6月15日のこと。現在の香川県にあたる讃岐国に三男として誕生しました。幼名は「真魚(まお)」といい、幼い頃から非常に聡明だったといわれています。少年時代から、桓武天皇の皇子の教育係を務めた伯父・阿刀大足(あとのおおたり)から詩や漢語、儒教を学んでいたそうです。

15歳になった空海は、阿刀大足の誘いを受けて都に上ることを決意します。学問に精進する道を選んだのです。18歳になると大学に入学しますが、そこで空海は挫折を味わいました。入学した大学は官僚を養成する学校で、自身が求めている学問とは違っていたのです。「困っている人を助けるには、出世のための学びではなく、仏教が必要」。そう考えた空海は大学を中退し、僧の道に進むことに。四国や奈良県吉野の山々をめぐりながら修行を重ね、20歳で僧侶になった後、22歳で名前を空海に改めました。(諸説あり)

修行を続けていた空海は、奈良県にある久米寺で運命的な出会いを果たします。密教の経典「大日経」との出会いです。ただ、空海は「経典を読んだだけでは密教の教えはわからない」と考え、唐に渡る機会を探るようになります。チャンスを得たのは空海31歳のとき。遣唐使のひとりとして念願だった唐に渡ることになったのです。

唐に入った空海は、密教の理解に必要なサンスクリット語(梵語)を習得しながら、密教の勉強に励みました。そしてわずか半年後には、真言密教を正式に受け継いだ僧の恵果(けいか)という唐の国師に会いに行ったそうです。恵果は一目で空海を認め、自身の弟子にし密教のすべてを空海に伝授したのです。

唐で2年を過ごした空海は、806年に日本に帰国。その後2年ほどは太宰府にある観世音寺に滞在していたといわれています。809年になると京都の高雄山寺(現在の神護寺)に入り、翌年の810年には嵯峨天皇の書を受けて真言密教の布教を開始しました。高野山を修禅の道場として開創したのは、それから6年後の816年のこと。

835年、弟子たちに遺告を遺し、旧暦3月21日、空海は62歳で入定を果たしました。

空海が開いた真言宗では、大日如来(だいにちにょらい)が本尊。即身成仏(そくしんじょうぶつ)が大切な教えとされています。即身成仏とは、今この世に体のあるうちに仏になれるという教えです。そのために必要な修行が、本来持っている仏心(ぶっしん)を呼び起こす「三密(さんみつ)」というもの。自身の「身(しん)=体の行動」、「口(く)=言葉」、意「(い)=心」の3つを整えることが欠かせないと説かれています。自分自身を深く見つめ直し、仏のような生き方をすることが重要としているのが真言宗の特徴です。

 

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